2015年03月19日
秋田から、、 3月19日
秋田出身で後に大関となった清国という力士がむかし居た。モンゴルのモの字も外国人の外の字もない相撲界は日本人だけの時代だった。
友人の父が清国の父の弟だったから友人は清国の従兄弟にあたったわけだ。東海道新幹線があと何ヶ月で開通という時代に私と友人は秋田の清国の実家に遊びに行った。たぶん友人は父親の名代で秋田の実家に私を誘ったと思う。途中の東京はオリンピック準備でどこも大変な喧騒だった。あの当時の日本人には観光と言う概念がまだ無い時代で人々はただガムシャラに働いている。十両目前の大事な時期だったが大都会東京に初めて行く(通過だけだったが)15才の我々を東京駅に迎えてくれた。まだ二十歳そこそこの筋肉質で大柄な体にトレーナーとマフラー姿で列車待ちの上野駅では美味しいトンカツをご馳走してくれた。私と変わらないぐらいの歳の痩せて背の高い弟弟子が一緒で私たちの旅行カバンを軽がる持ってくれた。
浜松から東京まで8時間ぐらい掛かった。上野駅から奥羽本線で横手市まで行くのだが当時の列車は蒸気機関車が客車を引っ張るから途中の駅を出発する度に機関車はもうもうと黒煙を吐き登り坂は更に吐く。幾つトンネルを潜ったか?その度にもうもうたる煙りで車内の端が見えないくらい、まるで煙突の中だ。
トンネルを抜ける度に車内にこもった煙を乗客が一斉に窓を開けて換気するのだが季節は12月の末。肌を切る寒風が容赦なく車内に流れ込みその寒さは列車が北に進むにつれ増していった。しまいにはトンネルを抜けても寒気に負けて誰も窓を開けて換気をしない。10時間余りでやっと横手駅に降りた我々を迎えた清国関の姉が、、声をあげて笑った。
確かに友人の顔が少し黒いとは思っていたが乗客みんなが同じように黒いから気かつかないのだ(笑)
上野駅でトンカツをご馳走してくれてから6年後に清国は待望の大関になる。大鵬という大横綱とそのライバルの大関という地位がそうさせたのか?清国関は我々から遥かに遠い存在になってしまった。あの日以来秋田には行っていない。秋田からのお客さんと聞けば必ず清国関の話しをするのだが、、、最近は誰も知らない。
射撃をありがとう。
社会人になって本当の人生が始まる。
是非、郷土の先輩「清国」に負けないよう頑張ってほしい。
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Posted by G.O.S.R. at 17:30│Comments(0)
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