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Posted by ミリタリーブログ at

2017年08月15日

浜名湖の近くから[G.O.S.R.SU-の一言]

浜名湖の近くから[G.O.S.R.SU-の一言]

浜松市から1号線を西に向かい、やがて浜名湖の手前にある静かな町からのご一家だ。あの町(当時は加美村と言った)に仲の良い友人がいて夏休みはいつも数人の同級生たちと泊まりこんで遊んでいた。何しろ大きな病院で入院用のベッドは何十と空いていたから好きなだけ泊まれた。もう半世紀以上も前になるが今でもあの夏の日々を懐かしく思い出す。近くの浜名湖に友人たちと夜の月灯りが煌々とした湖で泳いでいた時、一緒に淡い青白い光(今のLEDの青白い光とそっくりな)がそれこそ無数にキラキラした波間の幻想的な光景は忘れられない。水が跳ねるたびにキラキラキラキラ光る。正体は無数の夜光虫だった。プランクトンの一種で刺激を与えると青白く光るのだった。水泳部でバタフライが得意な友人が泳ぐ全身と回りの水が青白く光る光景はこの世の美しさではないと思ったものだ。そして浜名湖は私の小学生の頃からの遊び場だった。夏は海水浴潮干狩り蟹とり、冬はハゼ釣りキス釣りと一年中遊んでいた。当時あの辺りにはたくさんの鰻の養殖池があって今でも浜名湖周辺は鰻料理の本場だ。うなぎの稚魚シラスは当時の浜名湖では初夏になれば湧くように捕れたから今では考えられないが、シラスのかき揚げなんかはビールの良い摘みだった。今はわずか盃一杯のシラスうが一万円もするという。たった一匹が千円もするとは驚きだ。しかし今はそんなシラスが捕れなくなって久しい。肝心の稚魚が捕れないから養鰻業も衰退の一途であの池は干上がったままに打ち捨てられている。ところで長く謎だったシラスうなぎの産まれ故郷が、実はグアムのすぐそばのマリアナ海溝であったなんて私にとっては奇遇だ。島のすぐそば千メーターの深い海でうなぎは産卵し、やがて体長6センチほどの稚魚は3千キロ以上を北上し黒潮に乗って日本列島に到達して主に太平洋側のそれぞれの河川を登るが、中でも浜名湖とか天竜川辺りは最適地なんだろう多くのシラスが溯上してやがて親となる。産まれた稚魚が川を下り海で親となる鮭とは正反対の生態を示す。さてその絶滅寸前のシラスを増やすのはそんなに難しいものじゃないと私は素人ながら思う。要は天然のウナギを捕らなければイイ、、成長した個体は自然とマリアナ海溝に戻り親になれば卵を産みやがて孵化した稚魚がシラスになって日本に向う。日本ウナギはまだ日本列島に人が住むまえの太古の時代からそうした営みを続けている。要は人間が捕り過ぎているだけの事。資源の枯渇は何も日本うなぎに限った話しじゃないが、、5年~10年天然うなぎを禁漁にすれば万事解決するんだと思う。鯛マグロのようにウナギの完全養殖を試みているようだが、それより簡単なのは天然うなぎを、、確かに旨いのだが少しだけ我慢して捕らなければ全ては解決する。浜名湖の養鰻が再び復活するのを首を長くして待つのは私だけじゃない。世の中にあんな旨い食べ物は他に無い。鰻が嫌いと言った人を私は今だ知らない。
ここはきっぱり天然うなぎを禁漁にして保護すればいいだけの事なんだが、、「天然を捕るな食うなで我慢して、未来に残す浜名湖ウナギ」どうです?!
まイイや、浜松からのgood家族に会えたし、少年の日の懐かしい思い出も蘇ったし、なんたって浜名湖鰻の旨さは格別なんだからも再認識したし、、
射撃ありがとうございました!
良い夏休みですね。  
Posted by G.O.S.R. at 11:00Comments(0)

2017年08月15日

刈谷の鈴木さん[G.O.S.R.SU-の一言]

刈谷の鈴木さん[G.O.S.R.SU-の一言]

長男が、射撃をしたいからGOSRに連れてってほしいと言った。だから来たようなもんだから、、、
お父さんお母さんありがとう、、ネ
夏休みのバカ高いこの時期に、、重ね重ねかたじけない。射撃屋のオヤジ心中より厚く、熱くお礼を申しあげます。。同じ鈴木で、、ハハハ、、
写真で見る限り、皆さんご機嫌のようだから、、良かったな
ありがとうございました!  
Posted by G.O.S.R. at 10:00Comments(0)