アクセスカウンタ
< 2014年08>
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
QRコード
QRCODE

スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2014年08月01日

45年前のベトナム戦争時のこの島は、、、 8月1日


45年前のベトナム戦争時のこの島は、太平洋一の大兵站(だいへいたん)基地だった。
(※兵站(へいたん)=戦闘部隊の後方で人員・兵器・食糧などの輸送、補給、連絡などのための機関)

海兵隊員はこの島に一旦集結してからフィリピンを経由して最前線に、、爆撃機B52はこの島で大量の爆弾を積み込み一気に北ベトナムまで飛んだ。前線で傷ついた多くの兵士は一旦この島に戻され傷が癒えればまた前線に戻った。戦死した兵士も傷んだ身体を綺麗に整えられ故郷の家族の元へ送られた。この島を南北に縦断している幹線道路を「マリンコーポドライブ」と呼ぶ。北の端の空軍基地と南の海軍基地を一直線に結ぶ「海兵隊道路」それが一号線の正式名称なのだ。あれから40数年が経った現在のグアム島は、年間100万を越す観光客が常夏の平和な島を訪れる。変わらなず日本人が多い。しかし最近は、韓国、中国、ロシアからの観光客も多く、今では極東ロシアのウラジオストクからアエロフロートがダイレクトに飛んで来る時代になった、、。
時が経てば総てが変わる、、、人も動物も植物も、、生きてるもの総てが世代を重ねて入れ替わる、、、。
この壁画のモデルの兵士たちも、、多くはすでにこの世にいない。
私はこの壁画がいつからココにあったかは知らない。20年前、私たち一家がこの島で暮らし始めた時にはすでにあった。
そして不思議なのは、、兵士のバックに描かれた模様が、、ちょうど日本語の平仮名を逆にしたように見えることだ、、、?、、実はこの不思議な文様は、私がときどき行くレストランの壁にも描かれている。オーナーは日本人だがこのレストランも既に40年以上の歴史がある。
もしかしたらレストランの壁の不思議な文様を描がいた人物と、兵士たちをあの道路の壁に描いた人は同じ人物だったかもしれない、、、。
それにしても頻繁に車が走り、南国の強烈な太陽に日々炙られ、雨に濡れ風になぶられているはずなのに、、この絵はいつも綺麗に保たれている。
きっとこの島の誰かが、、いつもこの壁画を気にかけ塗り直しているのだろう、、、、、。  
タグ :グアム

Posted by G.O.S.R. at 19:00Comments(0)